2018.06.03

間違っても「デートにかけてくれた金額」で男を判断するようなブスにはなるなよ

今日Twitterで「デート代にランチ1,500円は高いと思うか低いと思うか」みたいな議論が展開されているのを見つけました。

ツイ主さんは『1,500円は東京の物価なら普通にいくでしょ。高いとか低いとかの前に』という主張で呟きたかったのだと思うのですが、ツイートが拡散されるうちに結局「奢る奢らない」の論争に発展してしまったようです。

デート代論争でよく見かける主張として

「素敵な女性とランチに行ける価値を思えば安いと思う」とか
「それぐらい払ってもいい女だと思われなかっただけでしょ」とか、

<<お金でその人の価値を決めようとする>>主張がありますが、そういう意見を見るととても悲しい気持ちになります。 

「違うでしょ。そこじゃないでしょ」っていつも思うのです。

デート代は相手に払ってるんじゃないの、お店に払ってるの

お金っていうのはサービスの提供者に対しての感謝の気持ちとして支払われるものです。

500円で済むランチと1万円かかるランチがあるのは、食材や仕込み、機材費や人件費などにかかってる「手間とコスト」が違うからです。

その手間とコストをかけてこちらの欲求を満たしてくれたこと、その対価としてのお金を支払うわけです。

それがどうして、

・「女性のデートにお金をかけられない人は男して見れない」とか
・「せっかく奢ってやったのに感謝の一つもない性格の悪い女だった」とか

「この男(女)に1,500円かける価値があるかどうかの人間性の判断」に転化されちゃうのでしょうか。

サービスに対する評価と人に対する評価は切り分けよ

あなたが会計するときはあくまでランチを提供したお店に対して1,500円を払っているのであり、決して一緒に過ごした男に払っている訳ではないのです。

デートで食事した相手がどんなに自分勝手な話しかせずに、きっちり割り勘してきたとしても、あなたは、そのお店に対して「ごちそうさま、ここの料理本当に美味しかったです」笑顔でと言えるような人間であってほしい、と僕は思います。

「コイツ、男としてないわ」という感想と「この1,500円のランチ、うまい!幸せ!」という感想はまぜこぜにしないでほしいんです。

お金をかけた額、あるいはかけられた額でその人の価値を決めようとするなんてブスのやることです。

いい女なら、せめて愛情をかけた量、愛情をかけられた量でその人の価値を議論してほしいのです。

男の価値を判断する前に、女の価値を判断する前に、「お前は『いただきます』と『ごちそうさま』をちゃんと言ったのか?」って話です。

デートの時間をお金に換えられない価値にできる人こそ手放してはならない相手

我が家の話で恐縮ですが、僕は奥さんとの2年の付き合いの中で、500円からそれこそ1万円までのランチもどっちも食べましたが、その金額でお互いに対する評価が変わるかというと、全く変わりません。

そりゃそうです。

ワンコインで食べられるランチであっても、1万円かかるランチであっても、「この人と一緒に過ごせている時間」自体の価値が、お金に換えられないほどの絶対的な価値を持っているからです。

そこにいくらかかってるかは全然重要じゃない。

もちろんお金がたくさんあったほうがいろんな体験ができて刺激的であることは間違いありません。

安いサービスよりも高いサービスの方が幸福度が高い傾向にはあります。

でも本当の幸福は、どんなデートをしていても「あぁ、幸せだなぁ」と感じる相手と一緒にいられることで感じるものです。

間違っても自分に高いお金をかけてくれたか、で男を判断するようなブスにはなるなよ。
どんなに安いサービスでも、一緒にいて幸せを感じるかどうかで男を判断するような美女になれよ。(川口美樹/ライター)

(ハウコレ編集部)

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